|
母と音楽の話しをすることなどは皆無に等しいのだが、ある日私がマリア・カラスを部屋でかけていたら、「昔はオペラも好きでよく聴いたけど、歳をとってからはあの声量を身体が受け付けないのよね」と言っていた。現在は演歌ばかりだ。あのクラッシックの重厚な歌声は、年齢を重ねた身体には辛いものがあるらしい。
J-POPでは、高音の歌声が相変わらず優勢だ。世界でも通用する力強いハイトーンというより、日本人的な高音だ。それは、日本人の身体の骨格によるのではないかと考えたりする。戦後、西欧式の食生活で若い人たちの体格は大きくなったけど、まだ奥行きというか厚みは出てきていない、まだまだ薄い。東洋人の骨格も、食文化の変化でそうそう簡単には変わらないのだろう。元スーパーモデルの川原亜矢子が「パリコレなどでも、東洋人は横からみると薄くて平面的なんです。欧米人の彼女たちは身体が丸い、横から見ても厚みがあり、立体的なんです」ということを言っていた。
音楽といっても色々な楽器の音が存在するけれど、人間みんなが共通してもつのは声という楽器であり、一番ダイレクトに身体に入ってくる。歌声を聴いていることというのは、聴いているときの自分の身体のどこかが、その歌声に共鳴していることだと思う。二つの耳以外にも、骨や頭蓋骨や内臓、色んな場所で。たとえば、奥行きの浅い頭蓋骨。人より少し長い首。顔面の下の容積のあまり大きくない鼻くう。噛み合せのずれている顎。骨組みとしては平面的なつくりの肋骨。そのほか、人によってはアルコール摂取量の多い肝臓。ニコチンで伸縮が悪くなってる肺とか。その歌声がもつ周波数に共鳴するのに相応した部位で、共振・共鳴しいてるんではないか。
だから歌声の好みというのは、後天的な要素よりも実は先天的なものが大きかったり、その時の身体の状態が求めているものだったりするだろう。それを吸収できているときは気持ちいいし、そうでないものは苦痛になるし受付けない。
こんなふうに私は、つらつらと日頃頭の中にある疑問に、勝手な仮説を立てるのが好きである。もう少し調べものをするなりして、それを実証できたら素晴らしいのではないかとも思うのだが。いや、もしかしたら既に明らかにされていることかもしれないけれど。
|
|