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元住吉の暑い夜〜アートスクエア木月
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| 即興打楽奏者 |
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風巻 隆
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まだボクが長髪のドラム少年だった高校時代、バンドをやっていたひとつ上の先輩から、夏休みにある計画をもちかけられた。先輩の友人がバイトで宿直している、元住吉の井田山の上にある中原養護学校で、夜中にコンサートをやるから友達を誘って来ないかというもので、もちろん学校の許可などとってあるわけもなく、それははじめから相当ヤバイ話ではあった。ただ、楽器を用意してくれるという手軽さと、地元なので自転車で行ける気軽さもあり、ガールフレンドを夜連れ出す口実にしてはちょっと刺激的な計画だったので、スティックを片手にお酒とつまみを用意して出かけていった。
高校時代、バンドの練習は学校の教室だったし、防音装置のない教室で窓をあけて大音量のハードロックを奏でるのだから、教師からうるさいと怒られるのも慣れっこになっていた。夏の夜、夜空に響きわたる田んぼのカエルの声を背に、井田山を自転車で登っていく。誰もいない真っ暗な学校に行くと、一ヶ所だけ明かりが灯っている。床にカーペットの敷かれたプレイルームには何人かのバンド仲間とその友人達がもう集まっていて、車座になってちょっとした宴会が始まっている。誰かが車で運んだ楽器が用意され、バンドのメンバーが揃ったら、ボクらもそこで演奏することになっていた。
コンサートやライヴというよりは、花見のようなノリで集まったボクらに、そこが学校であるという後ろめたさはほとんどなかった。ボクらは、いつものようにお酒を飲み、タバコを吸い、友人達とふざけあいながら、大音量の音もそっちのけで話に興じていた。ボクらは無邪気に、若さという時間を持て余していたのだろう。街中から離れた山の上で、近くにさほど民家もないということで安心していたボクらだったけど、世の中そう甘くはなかった。夜中近くなったころ、近所の人の通報があって、養護学校の先生という人が血相を変えて飛び込んできて、ボクらは、あわてて一目散に逃げ帰っていった。
誰が言い出したか「可否酒館で会おう」という話になって、ボクらは自転車で井田山の坂を降り、元住吉の駅の近くにある小さな店へ向かった。ガールフレンドは友達の家に泊まりにいって、一人になったボクがその店に入ると、もう何人かの仲間達は集まっていた。「えーっ、養護学校で酒飲んでコンサート?そりゃあ、まずいよねー。」と言うマスターも顔は笑っている。「へー、君がタカシくん?お兄さんはここによく来るよ。」渋谷でアピアというライヴハウスもやっているマスターのことは、二つ上のアニキからよく話を聞いていた。その夏の夜から、もうすでに30年という長い年月が流れている。
大学を卒業してから長く暮らしていた吉祥寺界隈を離れ、今年の春、わけあって元住吉に帰ってくることになった。20代の頃には国内のジャズ喫茶や、画廊、お寺、路上など、どんなところでも演奏しに出向いていき、渋谷アピアにもよくお世話になった。30代の頃には、ニューヨークやヨーロッパ、エストニアやロシアにまで足を伸ばして、さまざまなミュージシャンと共演しながら、自分の音楽の可能性というものを追い求めてきた。40代になると、自分の音楽を集大成するソロのCDを作る機会を得て、ようやく昨年、ソロCD「ジグザグ」を明大前キッド・アイラックのレーベルからリリースできた。
元住吉に帰るなら、そこに仲間と集える場所を持てないか、そんな思いもあって自宅の1階に「アートスクエア木月」というスペースを持つことになった。もちろん、大音量の音楽などそこでできるわけではないのだけれど、ギャラリーや、ダンスのワークショップなどに使っていただければ、とてもうれしい。5月のオープニングパーティーには、かつてのバンド仲間や、グルーピー達も集まってくれ、あの頃と同じように、とりとめのない話が夜遅くまで続いていた。ガールフレンドだった女の子も、「ずっと、友達でいよう。」という、二人の最後の約束を守って、変わらぬ笑顔で駆けつけてくれた。
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