|
|
|
〜ヘタウマと云う名のトラウマ〜 |
|
|
|
 |
|
|
| 稲垣慎也 |
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
どういうわけか僕はまるっきり数学や理科というものが苦手である。昔、保育園におせっかい焼きの陽子ちゃんという女の子がいて、徹底的に調教された。ソースや鼻水が洋服に垂れてしまっているし、お昼寝のパジャマの着替えもずば抜けてのろまだったので、陽子ちゃんに散々罵倒された。鈍くてぐうたらであることを重ね重ね潜在意識に刷り込まれてしまった。中学一年生のとき弾き始めたエレキギターにしても速弾きの類は聴こえぬ振りをし、やれスイープ奏法だ、ライトハンド奏法だという声にも無反応で通した。これらの奏法はスピードを争っていた。数値化しうる概念というものは愚鈍な僕には恐るべき脅威であった。ところがレッド・ツェッペリンのジミー・ペイジの上手いんだか下手なんだかよく判らないギタープレイには異常な興味を示し、高校生になると怪しい路地裏でツェッペリンの海賊版を探しまわり、買い漁るほどに傾倒した。ジミー・ペイジのギターは世間の聴衆からはよくヘタウマといわれていた。このヘタウマなるものが実に僕の心によくフィットした。ああ、僕もこのヘタウマというのはなんだかやれそうな気がする。ヘタウマという数値化できない概念は僕にとっては隠れ蓑のようなものであった。例えば、ギタリストがヘタウマという看板を掲げることを許されるとしても、ヘタウマなギター職人というのは存在しないであろう。国語の授業においてヘタウマな朗読を許される場合があっても、数学の授業においてヘタウマな解答というものは許されないと想像できるし、ヘタウマな占い師が人気を呼ぶことがあろうとも、ヘタウマな歯科医は開業すらできないだろう。
音楽は多分に理系の要素を含んでいるから困っている。たとえばA音は440kHzである。この音程に寸分違わず合わせることは理系の仕事である。本来は苦手なのだが仕方がないのでやっているだけで、チューニングに対する苦手意識は根底にあり、いつも苦しんでいるのが実情だ。本当は投げ出してしまいたい。チューニングを人に任せるギター弾きの方は根っからの文系であろう。共感を覚える。
ギターのメンテナンスは理系の仕事である。湿度の管理やネックが沿ってしまわないようにトラスロッドをひねることには厳密な技術が要求される。僕の分野ではない。きっと楽器屋さんはこういった作業がとても好きなのだろう。音楽が好きな理系の方にはそんな道も用意されているのだ。羨ましい限りである。
僕は僕という人間のどうしようもなさを陽子ちゃんに指摘されたことを、三十歳を過ぎて痛切に思い出す。陽子ちゃんはある日、園内で僕をいじめることに飽き足らず、平和な日曜日に我が家のチャイムを鳴らしたのである。無防備なまま、玄関を開けると陽子ちゃんは六つも年上の兄貴を連れてきていた。当時小学六年生の少年は園児であった僕には立派におっさんであった。その恐るべきおっさんが言うには「陽子と遊んでやってくれないか」とのこと。遊ぶなどという牧歌的な幸福は存在しないと僕は知っている。園内で散々ダメ出しされた挙句、今度は課外授業ですか。それは大変しんどいなあと思ったが、陽子ちゃんの兄貴の表情には笑みがない。今となっては兄貴が妹のために一肌脱いで、かなりの勇気を振り絞って訪ねてきたのであろうと想像できる。彼としても相当緊張していたのだ。しかし、そんなことは園児である僕にはわからないから、彼の緊張した顔が恐ろしく、殴られるのではないかと懸念した。そこで僕も自分の兄を盾にしようと思った。兄は四つ年上で小学四年生。園児の僕からすれば彼もまた充分おっさんである。二人の兄が対面することになった。「慎也は忙しいので今日は無理です」と兄は声を震わせながら断ってくれた。四年生が六年生に発言することは勇気がいることだったろう。僕は難を逃れた。しかし、そのことが長期的な視点から見れば僕の人間性に欠落をもたらした。そのとき逃げたせいでずっと逃げなければならなくなってしまった。陽子ちゃんのしつけを受け入れなかったばかりに僕は根気を欠いたけじめのない人間に成長してしまった。
「三つ子の魂百までも」というように園児であった僕は日々新鮮な出来事に驚き、怯えながら、やはり少ない単語を組み立てて自分なりに考えていたように思う。陽子ちゃんの何を恐れていたかというと単に怒られるとか、押し付けられるといった恐怖ではなく、「女」なるものにしつけられることの怖さを感じていたからではなかろうか。「母」ではなく、異界からやってきた「女」にしつけられることほど恐ろしいことはない。例えば、早く着替えること、ソースをこぼさないこと、鼻水をためないこと、垂らさないこと、そうなる前にちり紙を使うこと。そういったことは社会人としてしっかりとした大人になるには必要なことである。着替えるのに時間がかかれば遅刻してしまうかもしれない。遅刻が多くて出世に響けば、家計は逼迫する。鼻水をためたまま商談にあたれば、相手に不快感を与え、取引は中止、業績悪化で倒産するかもしれない。失業すれば家計が逼迫する。陽子ちゃんのおせっかい焼きの動機として根底にあるのは男子を教育して有用な人材に育てることだと僕は当時感じ取ったのではないか。だとすれば僕は相当不幸な思考回路の持ち主といわねばならない。当時から僕は吝嗇で懐疑的な人間であった。何より搾取を恐れていた。「女」が「男」から搾取することを恐れていた。保育園内では女は圧倒的な強者であった。「搾取」という言葉を知らなくとも搾取という事象を強烈に意識していたことは紛れもない事実である。僕が陽子ちゃんのしつけから逃げ回っていたのはそんな長い旅の始まりであった。僕はちゃんとすることから逃げ続け、今でも逃げ廻っている。
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|