南 正人
渋谷アピアマンスリーライブ/4月24日(木)
日本のオリジナルロックシーンの金字塔

歌手生活40周年を目前にして、変わらず精力的に活動し続ける南 正人、
20周年に寄せられたミュージシャンからの熱いメッセージを紹介しよう!!

忌野清志朗
南正人さんは私の年上の大センパイでございまして、数多くの名曲を以前から創作し、歌っておられました。高校時代によくラジオなどで、数々のよい歌を聞かせてもらったわけでございます。現代でも、充分すばらしい曲でございます。世界的にもナヨナヨした歌が多い今日の音楽界、ロック界において、今こそ、南さんの歌が必要なのです。


泉谷しげる
正人さんはオレにとって大事な歌手のひとりであり、名作「回帰線」は、今でもタカラモノ。正人さんをいじることはできないが、いつかレコードでオレをギターに使ってくれよ!ライブじゃ負けね〜ぞォ。その時を楽しみにしてまス。

1944年東京生まれ。東京外語大スペイン語学科在学中に、メキシコを振り出しにアメリカ、ヨーロッパ各地を放浪。
グリニッジビレッジでのボブ・ディランとの出会いを機に、帰国後遠藤賢司らとフォーク集団「アゴラ」に参加、本格的音楽活動を開始する。1971年、ファースト・アルバム「回帰線」を発表。その後、日本ではいち早くサンバやレゲエなどパーカッシブなリズムを取り入れ独自の音楽活動を展開する。
88年参加者が10000人に及ぶ「いのち祭りin八ヶ岳・NO NUKES ONE LOVE」をプロデュース。
89年全労災ホール(スペースゼロ)で、”歌手生活20周年”の記念コンサートを開催。
91年「いのち祭りin六ヶ所村」をプロデュース。
95年、ペルメージ・レコード(渋谷アピア)より発表した「恋心」はアジアを望んだ初のアコースティックアルバムとして、注目される。その後、アジア各地を旅し97年にタイのチェンマイで第1回日本とタイの草の根コンサート(ジュビリージャム)を実現。02年にも第2回をプロデュース。04年ペルメージ・レコードより10枚目のアルバム「Songs〜歌たちよ〜」を発表。


細野晴臣
この時代の20年という月日は大きくうねっていた。南君も僕も、音楽と共に20年経てきたわけだが、この2つの20年間は、個人の生き方や表現では大きく異なるにしろ、大きいうねりの中では、同じ空気を吸っていたに違いないと思う。南君が南米から持ち帰ったナチュラル・パワーによって、大きな転機にあった僕は自我の崩壊と再構築を経験した。その苦痛だが魅力的な体験を通して、今の僕があること、そしてそのプロセスは20年目にしてひとつの段階を終えたということをここに報告しておきたいと思う。


カルメン・マキ
ナミさんのやっている音楽は、決して新旧を問わない純粋で正直な音楽である。商品化されたお手軽な音楽を、本物・ニセ物の見極めのできないファンが氾濫する今日、商業主義に媚びることなく、20年にわたって歌い続けてきたナミさんに、今、心から拍手を送りたい。

 
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